湯島「談合島」(ゆしま「だんごうじま」)
(「旅館きく」の名物女将)
(タコ取りの様子)
(あまくさ村の商品「塩蔵」はここから!)
(「月見荘」より湯島港)
(湯島の路地)
(「日の出荘」からの眺め)
(レトロな「日の出荘」の廊下)
(「日の出荘」下のビーチ)
(アコウの木)
~歴史息づく「猫」の島~
湯島は島原湾の真ん中、上天草市の大矢野島と島原半島の間にあります。その歴史的背景から別名:談合島と呼ばれ、現在では約300名の島民が暮らしています。
(談合島の碑)
1637~1638年に起こった「天草・島原の乱」の際、ここ湯島で天草と島原のリーダー達が集まり、作戦を練り・武器を作ったことから談合島の名が付きました。その中心人物が「益田四郎時貞」であり、ここ湯島でその名を「天草四郎時貞」としました。
(鍛冶水盤)
(鍛冶水盤説明)
四郎が若干16歳にしてリーダーと成り得たのは、世界最古と言われる、その優れた平等思想にあります。
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「天地同根万物一体(てんちどうこんまんもついったい)、一切衆生不撰貴賤(いっさいのしゅじょうきせんをえらばず)」『訳:天も地も根は同じで、全ての物は一体である』・・・・・というメッセージを残しています。
このメッセージは記念碑として、当店・藍のあまくさ村の日本一の天草四郎像の眼下に建立してあります。
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天草・島原の乱の後、幕府は鎖国政策を執ったことから、ここ湯島は日本の歴史に非常に影響を与えた島との見方も出来るのではないでしょうか。私たちが暮らすここ天草の祖先が、その時は夢破れながらも平等を求めて戦ったことは、今を生きる私たちの暮らしの礎となっていることは間違いのない事実でしょう。
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また、湯島は島民よりも猫が多い「猫の島」です。車も無く信号も無いのどかな島には、年に一度の伝統フカ狩り漁も残っており、ゆったりとした時間が流れ、訪れる人を子供の頃の懐かしい空間へと誘(いざな)います。
(フカ狩りの様子)
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悠久の時を超え、現在は猫が主役のこの島で、歴史ロマンに思いを馳せ、忙しい日常からしばし離れてみてはいかがでしょうか☆
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湯島のパンフレット出来ました★
アクセス方法、宿や見どころ紹介してます!
―クリックすると拡大します―
<アクセス>
時間:(所要時間)片道25分
(湯島発)7:30、9:00、12:00、14:00、16:00
(江樋戸発)8:15、10:00、13:15、15:00、17:30
料金:中学生以上600円
(子供300円、幼児二人以上は子供料金)
営業日:毎日